言葉の芥場

思ってることを、思っているままに。日ごろ、堆積したことばを吐き出す場所。

卒業

この度、元々の予定よりも一学期前倒しでUCLAを卒業しました。冬休みに計画を確認したら、終われそうだったので、元々の計画を前倒ししました。正確に言えば冬学期の成績が反映されてから卒業ではあるんですけど、おそらく大丈夫だろうと思ってます。誤算があって卒業出来てなかったら笑って下さい。コロナの渦中に帰ることにはなったのは誤算ですが、とりあえず学生生活が終了しました。アメリカ生活を振り返って、思っていることを書き残しておこうと思います。長くてまとまりのない文章になりそうですが、どうかご勘弁を。

約四年前、日本の大学受験に失敗してアメリカに来ました。それから語学学校、コミカレ、そしてUCLAと勉強の場を変えながら四年間なんとか生き抜いてこれました。海外で勉強したいという夢と憧れから留学を目指し始めて、日本の大学にシフトチェンジして、結局は留学に落ち着いた訳ですが、その決断をした時に夢や憧れを叶えるためにという気持ちは正直4割くらいだったと思います。残り6割くらいは浪人してもう一度受験に挑むだけの勇気と強さが無かったという「逃げ」がモチベーションでした。逃げたからにはそうしてよかったと思えるように、その選択を「正しい選択」にするために駆け抜けたつもりです。日本の大学に行かなかった事で失ったものもあるし、こっちで失敗したことも多々あります。日本の大学に行った人たちの話を聞いて羨ましく思うこともあります。ただ、日本の大学に行けばよかったと思うかといわれればそれは絶対にないです。今の自分は、四年前に決断したからこそ得たものや巡り合えた人のおかげで成り立っている事を実感しているし、それを失うのはあまりに惜しい。さらに言えば、過去の決断という決して変わることのないものに対して是非を問うのが完全な時間の無駄だと最近になって気づきました。「反省はするけど後悔はしない」、今の自分の大きなテーマの一つです。この選択が正しかったのかどうかは自分が死ぬ直前に考える事なので、今はただ、この経験を次のステージに持ち込んで最大限に使っていこうと思います。

 

アメリカで生活をして、今後の人生を生きるうえで大切な教訓をいくつも得ました。

 

まず、何事も鵜呑みにしないこと。本に書いてあるからといって、ニュースとして見たからといって、自分が尊敬している人が言っていることだからといって、それを盲目的に信じるのは危ない。たくさんの論文や本を読んでいくうちに、そこに書いてある事には弱点や反証がつきものであるとわかりました。同じくらい権威のある学者が全く反対の主張をしていることもあります。それがどんなに偉い人が書いたものであっても、そこに含まれていない事実、見逃された反例が無いかを考えて、そのうえで自分の意見を持つ。自分の信じたい意見の反論を見てからその意見が信じるに値するのかを判断する。そういった論理的、批判的思考を持つ大切さはアメリカの大学でやたらといわれたcritical thinkingを通じて培われました。

簡単に人を分類してラベルを貼らないこと。日本という国を出てみて、日本とは180度違う多民族国家にマイノリティとして生活をし、自分とは違うバックグラウンドを持った人とたくさん関わる機会を得ました。国籍、宗教、ジェンダー、外見、肌の色、民族、言語、出身地、政治的指向、年齢、経済状況、家庭環境、、、。カテゴリーは無限にあります。そのカテゴリーそれぞれに間違ったステレオタイプや社会的なレッテルが結び付けられています。その人の持つたった一つの特徴を取り出して、その特徴に結びついた正しくもない情報をもとに、その人はこうだと言い切るのはどう考えても間違っています。人をカテゴライズして、そのカテゴリーごとレッテルを貼るのは簡単だし情報の処理スピードは上がるかもしれません。ただ、そのカテゴリーもレッテルも、それが社会的に常識とされていても、人間が作り出した何の根拠もないものだという事を肌で理解できました。結局人間は一人一人違うし変化していく生き物なので、まっさらな状態で人と向き合うことが大切だと教えられました。

どんなに頑張っても現状の実力以上はでないという事。必死に勉強して、何度も推敲したエッセイを出したところで、Aが取れないクラスは取れない。そこに至るまでの努力が足りなければ猛省が必要だけど、努力しても、実力が足りないのならばそれまでです。今までの多くの時間、僕は自分の実力以上を期待して、その差に打ちのめされていました。でも一度、高すぎる自分への期待を捨てて現実の実力を見つめ直せば、落ち込むことは減るし、やるべき事も見えてきます。この4年間、自分の実力不足を日々突きつけられてきました。周りには凄い人ばっかりで、いつもその差を見せつけられます。でもおかげで、自分のいる位置が冷静に見えてきました。実力以上のものが出ないなら、実力をつけるしかない。

環境を変えただけでは人は変わらないという事。留学を考えた大きな理由の一つに、自分を変えたいという思いがありました。留学したいと思った時からUCLA編入が決まるくらいまで、環境が変われば自分も変われるんだと信じていました。「アメリカに来たら」「UCLAにいれば」。そんな甘えた気持ちがどこかにありました。こういった環境の変化はもちろん一定の効果はあります。その環境で生き抜くために変わった部分もあります。それでも自分が一番変えたいと思っている事とか変わらねばならないと思う部分はなかなか変わってくれない。結局そこを変えたいと思ったら、内側から動くしかないわけで。環境とか、周りの人とかに頼って変化するのにはどうしても限界があります。環境の力程度で変わる部分は割と普段からフレキシブルに動いている部分だから、変化の実感がない。どうなりたいかを考え、能動的に動いていくことでしか人は変わらないのだと痛感しました。

今まで書いてきた学びを完璧には守れないだろうという事。上に書いたようなことを意識して生活できるかと言われれば、自信はありません。守らない方が楽なことも多いし、知らないうちに教訓を忘れていることもあります。事実、頭では分かっていてもそれが出来ないことが日々あります。だから、これからもきっとあるでしょう。完璧にこなせればそれがいい。ただそうもいかないから、自分の最善を尽くし、間違えそうになったら一回立ち止まり、それでも間違えたなら反省して改善する。そうやって自分の理想に近づいていくほかないのだと思っています。間違いを犯していて気付いてない場面を見かけたら叱ってください。自分は決して完璧な人間でも、出来る人間でもないので。

 

留学をするときに決めたUCLAかUCBに行って、そこを卒業するという目標は何とか叶えることが出来ました。ここから先の人生設計はほぼ白紙です。UCLAを出たにもかかわらず、まともに就活もしませんでした。良いところに就職して、バリバリ働いてお金稼ぐのも魅力的だし、そういうチャンスがあったとも思います。お金が無いと何も始まらないのも分かっているつもりです。それでも、今自分のやってみたい事に素直に向き合うことにしました。とりあえずはここから1年を目安に資金集めと計画を立てて、世界一周旅行をします。これだけが決まっているので僕の人生設計は「ほぼ」白紙なんです。ただ、この計画だってどうなるか分かりません。自分の力ではどうにもならない事もおきます。現状、計画をやや修正する必要が出てくるかもしれません。計画を立てて、実行していくのが好きな僕にとって、この予定外の流れはちょっと怖いです。ただ経験上、予定外の部分に行ったときに限って何か面白いことが起こったりもするので、なるべく考え過ぎずに。

 

この四年間、アメリカで出会った友達や先生はもちろん、世界中でどんな形でも僕と関わってくれた人すべてに感謝しています。わざわざこの文章を読んでくれているあなたはどこかで確実に僕を助けてくれています。本当にありがとうございました。その中でもやはり、決して安くない授業料なのに留学を認めてくれて、いつでもサポートをしてくれた両親には本当に感謝してもしきれません。ありがとうございます。一人では決して到達できない場所までこれたのは皆様のおかげです。

これからもたくさんの人の力を借りる事でしょう。自分一人では何もできない事はこの4年間で痛いほど学びました。代わりといってなんですが、白紙のページが必要になれば言ってください。実績も経験も何もないですが、可能性なら提供できると思っています。

次のステップでもおごることなく、自分らしく一生懸命に精進して参ります。

 

2020年3月29日 山本生人