言葉の芥場

思ってることを、思っているままに。日ごろ、堆積したことばを吐き出す場所。

たとえ一滴でも

We ourselves feel that what we are doing is just a drop in the ocean. But the ocean would be less because of that missing drop.―Mother Teresa

マザーテレサが残した多くの言葉の中でも僕が一番好きな言葉。訳すと「私たち自身、自分たちのやっていることは大海の中のたった一滴の水にすぎないものだと感じています。でも、大海はその一滴が無ければその一滴分だけ、水が少なくなるのです。」といったところでしょうか。

 

アマゾンの熱帯雨林が燃えています。

この火災は原因にも対応の遅れにも、政治的かつ経済的な複雑な事情が絡んでいて、早急な変化は起きにくい状況です。それをどんなに嘆いても、国際政治や国のトップが変わらないことには変化は生めないし、今の自分にそんな力はないわけで。だからって自分の無力さを恨んでいるだけではやっぱり駄目な気がします。

 

この火災で大きくフィーチャーされているのは環境問題について。Sustanable Development Goals (SDGs)が叫ばれています。

去年、ニューヨークにある国連本部に行ったときにもSDGsについて話を聞きました。ペットボトルを使わないとか、必要以上の食料を買わないとか、エコバッグを持つとか、日ごろの生活からできることがたくさんあるし、始めるのは簡単だといわれたのを強烈に覚えています。

2か月以上カンボジアで生活をして感じるのは、SDGsに本気で向き合うだけの力があるのは恵まれた環境にある国だけだ、ということです。カンボジアの現状を見て、ゴミを減らそうとかエコバッグを持とうなどの取り組みが効果を持つとは到底思えません。他に解決しなければならない死活問題があまりに多過ぎるから。

先進国で、SDGsを気にしながらでも十分な生活が送れるだけの社会を持つ国に住む人がまず始めなければ。たとえそれが少し面倒でも、それはやるべきことだと思ってなりません。

知らなかったから仕方がないでは済まされない地球全体の問題があって、その地球に住まわせてもらっている僕たちはそれから逃げてはいけない。発展を考えるのは間違っているとは思わないけれど、全てを犠牲にして成り立つ発展とは本当に発展なのでしょうか。

まず余裕のある人が先頭に立って、アクションを起こしていく必要があると感じます。

大きなことはできないけれどまずは小さなことから。僕は宣言しておいた方がやるタイプだからここに書いておこうと思います。

もうエコバッグと水筒は使ってるので、すぐにでもコーヒー用のタンブラーを買いに行く。

ビニール袋をもらうのを今後やめる。

リサイクルの為の分別をしっかりする。

要らなくなったものはただ捨てずに売ったり譲ったりする。

長く使えるものを少量買うことを心がける。

 

この一滴が大海に少しでも水を増やせることを祈って。