言葉の芥場

思ってることを、思っているままに。日ごろ、堆積したことばを吐き出す場所。

フィクションだからこそ

ずっと読みたかったChildren of Blood and Boneを読み終えました。日本ではオリシャ戦記として翻訳されている、ファンタジー小説です。

ファンタジー小説は子どもの頃から大好きなジャンルではあったけど、最近は少し遠ざかっていました。ここ数年、ビジネス系の本や自己啓発書、授業にかかわる本を読むことの方が多かったです。これらの本から得られる知識とか情報とか教養はわかりやすいので、最近、読書とは情報を得るためのものだという方程式を無意識のうちに作っていました。

それでも、この作品の評判はすごく良くて、いつか読んでやろうと思っていました。ページ数も相当あるし、授業のあるうちは厳しいかもなと思っていましたが、ケータイを触る時間が減って少し時間に余裕が出てきたので今回読んでみました。

 長編の小説で全部英語だから時間かかるだろうと思って読み始めたのに、面白すぎて3日で読み終えてしまいました。

完全なフィクションの世界で、フィクションのキャラクターが登場する話。これはエンターテインメントで、何かを学ぶための本ではないと思う人も多いのではないでしょうか。事実、ファンタジーとかSFというジャンルは実用書はもちろん、他のジャンルのリアリティのあるフィクションに比べてエンターテインメント性は強いと思います。魔法なんて存在しないし、そこにある世界は現実社会とは違いすぎます。ただ、僕はフィクションだからこそ伝えられるものとか、フィクションの形にする事で伝わる層の人がいると思っています。

この本のあとがきに著作の方がそれについて触れているのですが、この本は人種差別が社会問題として残るアメリカに対しての問題提起も込められているそうです。

例えばこのテーマを真正面に扱った社会的なフィクションや史実を基にしたノンフィクションを書けば、何を伝えたいかははっきりとするかも知れませんしより深くメッセージを描けるかもしれません。でもそのテーマに興味を持たない人や、子どもの手にまでは届かないでしょう。この作品は、ファンタジー小説というエンターテインメント性の高い形で、楽しく読める物語にした上でそういう問題を提起することで、より多くの人の手に渡り、考えてもらうきっかけとなり得るものになったと思います。

僕の知り合いで、マーベル映画はアクションしかなくてそこに学びが無いから観ないと言った人がいます。ストーリの面白さとかアクションのカッコ良さを考えただけでもこの人は損をしているとマーベルファンの僕は思ったりするんですが、マーベル映画からは学びがないという考えがとても勿体ないと思います。あのストーリーにはとても大切な学びが詰まっているのに、そのパッケージだけでそれを見ようともしない。この類のフィクションでしか伝えられないものやフィクションだからこそ強調できたりするものもあるのに、それが見えない、見ようとすらしないのはどうなんだろう。そんなことを思います。

フィクションだけど、フィクションだからこそ伝えられることがあるんだというのを再確認した一冊でした。先日続編が発売されました。この冬休みに読もうかと思ってます。

創立記念講演

国際協力の分野に興味を持って以来、高校生活の中でずっと後悔していることがありました。

うちの高校では毎年、創立記念日にOBの方が来て講演をされます。在学中、どの年だったかはしっかり覚えていないのですが、中村哲さんがOBとして来てくださったことがありました。当時は体育館に集まって長々と話を聞くというのがどうも嫌いで、こういう講演とか集会はあまり真面目に聞いていませんでした。中村哲さんのお話は、すごい人だというのを聞いていたのもあって普段よりは真剣に聞いてはいたものの、聞き流していた部分がほとんどだった気がします。今思い返すと、講演の内容そのものよりも、その後に友達に言った「凄い人だってことは分かるけど、俺にとっては世界が違い過ぎてピンとこない」の方が記憶に残っています。

国際協力をしたいと思ってから、中村哲さんがいかにすごい人なのか、あの日の機会がいかに貴重なものだったのかを痛感しました。やられていた活動のみならず、考え方など含めてとても尊敬していて、個人的に同じ高校出身というのが嬉しい限りです。いつか必ずもう一度お話を聞いて、できれば質問とかをして、運が良ければ同じ高校のOBであることを伝えたいというのが心の中の一つの目標でした。

もうそれは叶ぬ目標となってしまいました。

あの日、遠すぎると言い訳して目を逸らした世界を今は見られるようになりました。中村哲さんの遺志を、などとは言える立場にもないですが、自分を引き締めて、努力を続けていこうと思います。

 

中村哲さんの訃報に哀悼の意を表するとともに、中村哲さんとそのご家族のために祈ります。

デジタルミニマリズム

最近、テクノロジーとの付き合い方を考えています。

今学期取っているクラスの中で、IT企業がSNSを通じて個人情報を吸い上げ、それをどう使っているかをかなりリアルに学ぶ機会がありました。さらに、そういった企業の内部で働いたことのある人が、自分のアカウントを持っていないことも聞きました。ある程度は知っていましたが、改めて詳しく聞くとなかなか響くものがありました。

さらに今、Digital Minimalism: Choosing a Focused Life in a Noisy Worldという本を読んでいます。日本語訳も多分出ていると思いますが、この本はざっくり言えばスマホSNS、その他アプリなどの使用を最低限にした方がより有意義な時間が過ごせるのではないかというものです。

この本は、最新テクノロジーを完全否定しているわけではなく、自分の人生に大きな意味や利益をもたらすテクノロジーだけをその利益を最大限にいかしながら使い、その他は無視するというデジタルミニマリズムを提唱しています。

なぜデジタルミニマリズムがプラスになりうるのか、どうすればデジタルミニマリストになれるのか、具体的に分かりやすく解説がなされていて、それに共感する部分がとても多かったです。

時間をもっと有意義に使うため、そして自分の個人情報をしっかりと管理するため、僕もデジタルミニマリズムを始めることにしました。もうすでに、使っていないアプリを消したり、フォロー、フォロワー、友達の整理もしました。

本を参考に明日から一か月間、生活に必須のもの以外のSNSやアプリから完全に離れ、どのサービスを使うかを考えることを始めます。

ここ最近、タイムマネジメントが下手になっているような気がしていたのでいい機会かもしれません。

すごいスピードで発展し続けている技術が生活に欠かせないものであることに間違いはありませんが、何も考えず使うのはあまりに危険すぎる。進化のスピードが速くて便利だからこそ、しっかりと向き合って理解したうえで、使うことが自分のためにも大事なんじゃないかと思っています。

とりあえず、デジタルミニマリズムの本が面白いです。

UCLAという場所

太陽の光が温めた乾燥した空気の匂い。どこからか流れてくる甘ったるいマリファナの匂い。道行く人のもつ紙袋から溢れるハンバーガーの匂い。鼻をくすぐる匂い全てが、ロサンゼルスに帰ってきた事を感じさせます。何故かは分かりませんが、僕がアメリカを感じるのはいつも嗅覚からです。

アメリカに戻ってもう1週間以上たちます。決まっていなかった家も何とか決まり、慌ただしく引っ越し作業を済ませ、あれよあれよという間に授業がもう間もなく始まります。

アメリカで授業を受ける。これがいかに恵まれていることか、3年経って薄れていた感覚が、この夏に再確認できた気がします。さらに言えば国内屈指の名門、UCLAで授業が受けられることはやはり特別な事だと感じています。

教授はその分野で最先端を走り、他の学生も皆、世界中から集まった優秀な人たちばかり。書きながら改めて思います、凄いとこだなぁと。

この前たまたま見たTed talkで、スピーカーの方がこんな事を言っていました。

Fake it 'til you become it.

「本物になるまで、偽り続けろ」という意味のフレーズです。自分が本当にその場に相応しい人だと思えない時でも、そう思っているフリをし続けるうちに、自然とそう思えるようになる。そんな話でした。

僕はUCLAに相応しいだけの人なのか、正直自信がありません。日々のディスカッションでは有益な意見がなかなか言えないし、教授の講義への質問もなかなか浮かびません。そうこうしているうちに周りの学生はいい意見を言って、それがディベートに発展したり、教授を唸らせる質問を繰り出しています。自分がクラスの中で一番出来ないヤツなんじゃ無いかと思ったり、周りがみんな頭のキレる強者にみえる事が日常茶飯事で、いつも悔しい思いをしています。

でも、その中で存在感を放たねばならない、生き抜いていかなければならない。それなら、虚勢でも、フェイクでも、自信を持って意見が言える人間であろう。そんな勇気をTed Talkにもらいました。

中学時代、新しい美容院に行くのに3ヶ月迷った究極の人見知りには本当に厳しい、UCLAという場所。自分のキャパを完全にオーバーしていることは最初の1年ではっきりしました。でも、成長できるのは自分の限界を超えたところに足を踏み入れた時だけ。UCLAという場所が、自分をさらに一歩先へ導くきっかけになってくれるはずだと信じ、その場所で得られる最大の経験値を得るために残りの1年、日々過ごしていこうと思っています。

悲観的な書き方をしていますが、新たなスタートに向けてのワクワクに今は溢れています。やっぱり僕は勉強が好きだから。

 

大学最終学年が始まるに当たり書いたこのブログは、僕の、僕自身への宣戦布告であり、皆さんへの宣言です。色々な人の支えがあって辿り着いたこのすごい環境で吸収出来るものは全て吸収する気です。逃げ腰の僕を見たら遠慮なく言ってください。

「学ぶ」だけで許される時間はもう長くない。能動的に、ポジティブに前へと進んでいきます。

 

一応Ted Talkのリンクも貼っときますね。余談ですが、このTed Talkはボディーランゲージについてがメインの内容でめちゃ面白いです。

YouTube

終わりと始まり

カンボジアでの3ヶ月のインターンが終了しました。終わった勢いのまま書く文章なので多少の読みづらさはご勘弁を。

 

UCLA編入した去年の9月以来、環境の変化と勉強の忙しさ、そして自分が何をしたいのか分からなくなったことが主な原因でずっと苦しい思いをしていました。10月くらいからルームメイトとも上手くいかなくなって、それから食欲が無くなったり、夜全然眠れなくなったり、衝動的に坊主にしたりとメンタルがボロボロの日々を過ごしていました。そんな中で自分の未熟さゆえ色んな人に迷惑をかけたし傷つけたりもしてしまいました。ボロボロのメンタルなりに考えて、今の気持ちで日本に帰ったらもうアメリカに戻れなくなってしまうと思い、去年の11月には年末も夏休みも含め、卒業するまで日本には帰らないと決めました。


長い夏休みをどうするかを考えた時に、海外でインターンをしたいと思いました。去年1ヶ月インドでボランティアを経験して、1ヶ月ではなにも出来なかったので、それより長い期間でやりたい。そう思っていた時偶然kissoを見つけました。カンボジアをほぼ知らず、下調べも最低限だった僕をありがたい事にインターンとして受け入れてくださりました。


人生を完全に迷走していた中で、kissoとしての活動をして刺激を受けることは本当に多かったです。活動内容は営業、ポップデザイン、DIY、竹あかりづくりなどと本当に多岐に渡りました。今までやった事もない活動の中で、自分自身でも知らなかった自分の一面を見れた気がします。

一心不乱に駆け抜けた3ヶ月ではありましたが、出来なかったことや悔しいこともまだまだあります。投げっぱなしのアイデアばかりだし、カタチに残るなにかを残しきれなかった気もする。そこは今後の自分への課題として、しっかり持ち帰ります。

3か月という時間で、kissoの為に自分がどこまで出来たかは分かりません。最低限かもしれない。でも僕の居た3か月がkissoの持つ可能性を1%でも広げられていたら嬉しいです。


この3か月は活動以外のところでも、かでさんぐりさんをはじめ、ツアーに参加された方、旅人、インターン仲間、カンボジア在住の日本人の方、かでぐりさんのお知り合いの方々など沢山の人とお話する機会をいただきました。出逢った全ての方の話は面白くて、生き方がカッコよくて、ただただ刺激的でしあわせな日々でした。


出会った人たちは皆、自分の中に「軸」を持っていました。それは自分が好きになったものだったり、キャリアとして築いてきたものだったり、子どもの頃からの夢だったり、今までの人生で大切にしてきたものだったり、人によって様々でした。皆、その軸を持って生きているから、色々なことをやっていても生き方にブレがありません。


その中で自分と向き合っていろいろなことを考えました。自分の迷走の理由はきっと、今の自分に「軸」が無いからだと思います。高校卒業して、「コレ」といった夢もなくアメリカに渡り、世界の現状と自分の恵まれた立場を知るにつれて「何かしなければ」という義務感のような思いから国際協力に興味を持ち始めました。ただ、国際協力と言っても自分がどんな分野でどんなことを何故やりたいのかは明確に持っていませんでした。「何か」をやりたいけれど、それがわからない。自分の中に軸が無いから、やりたいことが1週間経つと変わってしまうし、人にうまく話せない。この軸の欠落こそが僕の迷走の大きな要因になっているのではないかと思います。さらに言えば「国際協力」にあまりにもとらわれてしまい、義務感ばかりが先走って、自分のやりたい事を封印していました。「自分の好きな事をやっていて、国際協力なんて言えない」とどこかで思っていたのかもしれません。ただ、自分のしたい事の先に国際協力があっても良い訳だし、今はむしろそっちの方がステキだと思ってます。自分が好きで始めたことなら何があってもポジティブに立ち向かえる気がするから。

この3ヶ月で迷走が終わったかと言われれば全く終わってません。

もちろん、迷っている理由すら分からなかった所から、暗くて辺りが見えないから迷子なんだというところまで来れたので成長はあります。

でも明かりの付け方はまだ分かりません。

それでも、迷走してるなりに、やりたいことリストを作ってみたり、このブログを始めてみたりしました。あかりの付け方がよく分からないので、目の前にあるスイッチを全部押してみようと思います。そしたらいつかどっかが光るかもしれない。どれを押すかを迷って結局押せないまま終わるのは嫌なので、片っ端からやってみます。光がみえたらどんなに遠くても追いかける覚悟が今ならあります。


3ヶ月間、色々な刺激をくれた皆さまありがとうございました。特にかでさん、ぐりさんには感謝が尽きません。そしてもちろん、僕にポジティブなエネルギーと元気をくれたカンボジアの快活で優しい人たち、元気溢れる子どもたち、ご飯、雰囲気、全てに感謝です。

今、正直に言えばアメリカに帰りたくはないです。そこが簡単に地獄になりうる事を知ってしまったし、カンボジアで得られる刺激があまりにも多いから。でも今の僕が居るべきはカンボジアでは無い気がします。ここでの3か月を自分のものに出来るかはアメリカに帰ってからの生活次第。アメリカにいる事が大きなチャンスになり得ることも分かったし、やることは沢山あります。

 

この貴重な日々を生かすも殺すも自分だと言うことを忘れないでおきたい。


人生で最も濃い3ヶ月、これを糧に今後も驕る事なく、次に会った時に成長した姿を見せられるよう、邁進していくつもりです。


カンボジアで出逢った全ての方へ感謝と愛を込めて。

 

山本生人

たとえ一滴でも

We ourselves feel that what we are doing is just a drop in the ocean. But the ocean would be less because of that missing drop.―Mother Teresa

マザーテレサが残した多くの言葉の中でも僕が一番好きな言葉。訳すと「私たち自身、自分たちのやっていることは大海の中のたった一滴の水にすぎないものだと感じています。でも、大海はその一滴が無ければその一滴分だけ、水が少なくなるのです。」といったところでしょうか。

 

アマゾンの熱帯雨林が燃えています。

この火災は原因にも対応の遅れにも、政治的かつ経済的な複雑な事情が絡んでいて、早急な変化は起きにくい状況です。それをどんなに嘆いても、国際政治や国のトップが変わらないことには変化は生めないし、今の自分にそんな力はないわけで。だからって自分の無力さを恨んでいるだけではやっぱり駄目な気がします。

 

この火災で大きくフィーチャーされているのは環境問題について。Sustanable Development Goals (SDGs)が叫ばれています。

去年、ニューヨークにある国連本部に行ったときにもSDGsについて話を聞きました。ペットボトルを使わないとか、必要以上の食料を買わないとか、エコバッグを持つとか、日ごろの生活からできることがたくさんあるし、始めるのは簡単だといわれたのを強烈に覚えています。

2か月以上カンボジアで生活をして感じるのは、SDGsに本気で向き合うだけの力があるのは恵まれた環境にある国だけだ、ということです。カンボジアの現状を見て、ゴミを減らそうとかエコバッグを持とうなどの取り組みが効果を持つとは到底思えません。他に解決しなければならない死活問題があまりに多過ぎるから。

先進国で、SDGsを気にしながらでも十分な生活が送れるだけの社会を持つ国に住む人がまず始めなければ。たとえそれが少し面倒でも、それはやるべきことだと思ってなりません。

知らなかったから仕方がないでは済まされない地球全体の問題があって、その地球に住まわせてもらっている僕たちはそれから逃げてはいけない。発展を考えるのは間違っているとは思わないけれど、全てを犠牲にして成り立つ発展とは本当に発展なのでしょうか。

まず余裕のある人が先頭に立って、アクションを起こしていく必要があると感じます。

大きなことはできないけれどまずは小さなことから。僕は宣言しておいた方がやるタイプだからここに書いておこうと思います。

もうエコバッグと水筒は使ってるので、すぐにでもコーヒー用のタンブラーを買いに行く。

ビニール袋をもらうのを今後やめる。

リサイクルの為の分別をしっかりする。

要らなくなったものはただ捨てずに売ったり譲ったりする。

長く使えるものを少量買うことを心がける。

 

この一滴が大海に少しでも水を増やせることを祈って。

新しい月には新しいことを。

ブログを開設しました。

僕は思う事、考える事が多くて、誰かと共有したいとか話したいと感じることがとても多いタイプだと思っています。そのくせ人見知りだからあまり話をしません。だから反動で仲のいい人たちの前ではおしゃべりになります。

今まで何となく自分の考えを不特定多数の公に公開するのはダサい気がしてて、なにより周りからどう思われるかが怖くて、特に発信はしてきませんでした。

カンボジアに来て以来、自分の考えや思いをしっかり話すことの大切さを痛感しています。思いがあっても、考えがあっても発信しないと伝わらないし、共感してくれる人も現れない。不言実行はかっこいいけど、それが許されるのは一部のカリスマ性を持った人間だけで、僕のような人はそうはいかないという事に最近ようやく気付きました。

本当はいろんな人に直接会って、ゆっくりと話す方が伝わると思います。活字は熱量のある生声には勝てないから。でもそんな悠長なことを言ってる時間が無いのでこういう形でまずは発信したいと思います。

Facebookとかインスタとかで書いてもいいんだけれど、書きたいことが多すぎるのと、英語に書き直した分を乗せるのが大変なのでブログという形をとりました。

このブログでは何となく思ったことを書くつもりなので、きれいな文章でも、正しいことでもないかもしれない。そのうえで、どうしても書かずにはいられないことを芥場に捨てる感覚で書いていこうと思っています。

イタい奴だと思われても仕方ない。99人にそう思われても、1人共感してくれたりそれについて意見をくれたらそれでいい。

頻度は不定期で、文章多めで、思い立ったら更新しようと思います。

そんな感じで、ゆるく、自分らしくやってくのでどうかよろしくお願いします。